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Nikolai Tsiskaridze Profile

プロフィール

フルネーム:ニコライ・マキシーモビッチ・ツィスカリーゼ
Nikolai・Maksymovich・Tsiskaridze
(Николай・Максимович・Цискаридзе)

愛称:コーリャ、ニーカ

★ロシアではファーストネームの次に、父称と呼ばれるものがきます。
これはお父さんの名前が元になっています。コーリャの場合、お父さんがマキシムさんだったことが彼の父称から判断できます。また、コーリャはニコライの愛称ですが、ニーカはニコというニコライの短縮形をロシア的に発音したものだと思われます。ロシア語の発音では、アクセントのない「O」は「A」の音に近いので…。また、ロシアでは名前と父称を続けて呼ぶと、尊敬の意味を表すので、「ニコライ・マキシーモビッチ」と言うだけで、丁寧な感じになります。

1973年12月31日ソ連邦グルジア共和国トビリシ市生まれ。お母さんは物理の先生。コーリャは一人っ子で、お母さんが43歳の時の子供。

1984年にトビリシのバレエ学校入学後、1987年モスクワバレエ学校に転入(P・A・ペーストフ先生のクラス)。お母さんと2人でモスクワに転居する。

1992年モスクワバレエ学校卒業後ボリショイバレエ団入団。同時に、モスクワ国立舞踊大学で学ぶ(1996年卒業)。そして今に至る。

★彼の入団試験(バレエ学校の卒業試験を兼ねる)はいわく付きで、試験を見に来ていたグリゴロービッチ自らが「グルジア人に5(満点)をあげて、劇場に入団させなさい」と言ったそうです。しかし、この年のバレエ学校の卒業生には、劇場関係者の子弟が多く、実は入団枠が一杯だったのにもかかわらず、このグリゴロービッチの一言で、コーリャはボリショイバレエ団に入団出来たのでした。

2006年10月現在のレパートリー
「くるみ割り人形」の王子、「白鳥の湖」の悪の天才、及びジークフリード王子、「眠りの森の美女」のデジレ王子、「ラ・シルフィード」の青年、「ジゼル」のアルブレヒト公爵、「バヤデルカ」の武将ソロル、「ライモンダ」のジャン・ド・ブリエンヌ、「レ・シルフィード」のジェームス、「ファラオの娘」のタオール、「バラの精」、「シェヘラザード」の金の奴隷、「ナルシス」、「スペードの女王」のゲルマン、「シンフォニー・イン・C」、「グラン・パ・クラシック」、「若者と死」、「ノートルダム・ド・パリ」のカジモド、「眠りの森の美女」のカラボス、「明るい小川」のクラシック・ダンサー、「真夏の世の夢」のテセウス/オベロン、「マノン」のデ・グリュー、フォーサイス振付「イン・ザ・ミドル〜」のソリスト 、「黄金時代」のコンフィランシェなど。

★余談ですが、以前は「くるみ割り」でフランスの踊り、「眠り」で青い鳥、「ロミオとジュリエット」でマキューシオ、「チッポリーノ」でさくらんぼ伯爵なども踊っていたそうです。また、「バヤデルカ」はグリゴロービッチ版とヌレーエフ版、更にはマリインカの復元版と3種類、「白鳥」はグリゴロービッチ版、ワシーリエフ版などを踊っています。

★外国にはじめて行ったのは、バレエ学校の日本公演(1990年)だそうです。
★日本食が大好きで、パリ・オペラ座に客演した時も、1日置きにパリの日本食レストランに通っていたそうです。好きな物は、しゃぶしゃぶ、すき焼き、お寿司。天ぷらはそんなに好きではないそうです。
★「若者と死」の時のこぼれ話。舞台前に振り付け家のプティに会ったら、「どうしてマスカラをつけたんだ?」と質問され、それに対してニカさんは「これ、僕の自前の睫毛なんですけど…」と答えたそう。確かに羨ましいほどびっしりと生えてますよね、彼の睫毛。
★普段つけている香水はイッセイ・ミヤケ。舞台では別の香水をつけているそうです。
★2005年チェーニ劇場の人形劇「ポリフェームの死」主演。人形も動かしました。
★2006年10月にロシアのブドゥフナベーニェ(インスピレーションの意味)というチョコレートのTVCMに出演。競演はスヴェトラーナ・ルンキナ。

受賞歴
1992年: 国際チャリティープログラム「New Names」の奨学金
1995年: 第7回日本国際バレエコンクール(大阪)にて銀メダル
1995年: ロシアのバレエ雑誌「Ballet」の年間賞「ダンスの魂(Soul of Dance)」(カテゴリー「Rising Star」)
1997年: 第8回モスクワ国際バレエコンクールにて第1位と金メダル、及びPeter van der Sloot個人賞「ロシアクラシックバレエの伝統の保持のため」
1997年: ロシアバレエ愛好組織「ラ・シルフィード」よりDancer of the year賞
1997年: ロシア連邦功労芸術家
1997年: ロシア舞台芸術賞「Golden Mask」最優秀男性舞踏手
1999年: 国際舞踊賞「Benois de la Danse」、最優秀男性舞踏手
(「ライモンダ」のジャン・ド・ブリエンヌ役による)
2000年: ロシア舞台芸術賞「Golden Mask」最優秀男性舞踏手
(「シンフォニー・イン・C」のソロパートに対して)
2000年: モスクワ市長賞(文学芸術分野)
2000年: ロシア演劇活動家連盟会員
2001年: ロシア連邦人民芸術家
2001年: ロシア国家賞(一連のクラシックバレエの役に対して)
2003年: ロシア舞台芸術賞「Golden Mask」最優秀男性舞踏手
 (「スペードの女王」のゲルマン役に対して)
2003年: ロシア国家賞(2度目の受賞。「スペードの女王」のゲルマン役に対して)
2003年: グルジア国家名誉勲章
2004年: トリウムフ賞
2006年: フランス芸術文化勲章(シュバリエ)

 

補足:称号(ロシア連邦功労芸術家 、ロシア連邦人民芸術家 、ロシア国家賞受賞者等)は、ボリショイ劇場の配役表に名前が出る時、一生付いて回ります。バレエ教師としてや、劇場の幹部として名前が出る時でさえも、それらの称号は印刷されます。ただし、ロシア語版のみで、英語版では、称号は省かれているようです。

ロシア舞台芸術賞「Golden Mask」に関してですが、ニコライさんは今までに3回受賞していて、2001年度は審査員を務めました。この芸術賞は、ある一定期間、受賞対象作品をモスクワの劇場で上演するのですが(2001年度は2002年3月から4月にかけて)、その間、審査員も勿論劇場に出没して観客と一緒に観劇して評価を出すのです。丁度この時期に4月の「愛の伝説」初演のお稽古のために舞台から遠ざかっていたニコライさんは、至る所で(バレエ以外の対象作品上演会場でさえ)目撃されていて、ロシア語のファンサイトの掲示板で報告されていました。更に、2001年度の授賞式では、往年のボリショイのバレリーナ、リュドミラ・セメニャーカ(現在は舞台女優、及びボリショイ・バレエ団教師)と共にプレゼンターを務めました。ロシアでは、この様子は短縮されましたが、TVで放映されました。

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