AM:今のところ、僕の人生で一番大事なことはキャリアです。パワーと
時間の大部分を、僕は仕事に当てています。現在の僕にとって
一番重要なのは芸術面での成長です。コンクール「アラベスク」の
後、僕は自分により自信を持つようになりました。 そしてこの間、僕は2回バレエ団を変わりました。コンクールの
時は、サンクト・ペテルブルグのオペラ・バレエ劇場のマールイ
劇場で踊っていました。コンクール後1年経ってマリインスキー
劇場に移りました。2006年の9月からはボリショイ劇場で踊って
います。また、この期間、僕は西側の優秀な振付家たち、ジョン・
ノイマイヤー、ウィリアム・フォーサイスなどの作品や我が国の
同じように優秀な振付家たち、ラトマンスキー、ミロシニチェンコ
などの作品を踊りました。そしてボリショイ劇場では、すでにクリス
トファー・ウィールドン、ユーリィ・ポーソホフ、トワイラ・サープ、
レオニード・マシーン、アルベルト・アロンソなどの作品を踊ってい
ます。
この期間にクラシックと現代ものの、とても多くのレパートリーを
踊り、さまざまな振付による有名な演目を試しました。ボリショイ
劇場での最初の1年間で16もの役を初演し、その内の9つは
全幕物の重要な役でした。 マリインスキー劇場でフォーサイスを踊ったことにより「ゴールデン
・マスク賞」も取りました。 ここで、コンクール「アラベスク」のパートナーであったエレーナ・
シェシナに関して、個別に言及したいと思います。コンクールの後、
マリインスキー劇場の全てのスターバレリーナたちと、ボリショイ
劇場の多くのスターバレリーナたちと踊りました。しかし、僕にとって
エレーナ・シェシナは常にNo.1バレリーナとして残ります。この
バレリーナは僕を舞台人として成長させ、特に、パートナーシップに
おいて教育したと言えるでしょう。まるで彼女とって痛くなかったかの
ように、僕の失敗、ヘマにも耐えて、100回の練習でも一度も断りま
せんでした。一度もわがままを言わず、苦情も言わず、何よりもまず
僕に必要なだけ練習をしてくれました。4年間レーナは全てにおいて
僕を助けてくれました。我々は大成功の、素晴らしいデュエットだっ
たと思っています。今でも僕がとてもさびしく思っているほどの。コン
クールのことを思い出せば…僕たちが何かがうまく行かなくて、どう
にもちゃんとしなくて、そういう時でも必ずいつも「脱出すること」が出
来ました。一つ何か合意できなくて、違う方法でやってみて、結果的
にはいつもうまく行きました。僕たちはお互いにお互いを感じていま
した。パートナーがもう一人のことをこのように感じている時、自分
のこともよりよくわかるようになります。 |