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アンドレイ・メルクーリエフ


写真提供:アンドレイ・メルクーリエフ
【このサイトへの掲載許可はメルクーリエフ本人に貰っています】
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2008年3月終演後にボリショイ劇場新館横にて

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【メルクーリエフに関するささいな情報】

★1977年10月3日ソ連邦(当時)コミ共和国首都スィクティフカル生まれ。
★お父さんの名前はニコライ。
なのでフルネームはアンドレイ・ニコラエビッチ・メルクーリエフ。

★2000年ペルミ・バレエコンクール「アラベスク」で2位。
★2001年カザン国際バレエコンクールで2位。
★2005年ロシア舞台芸術賞「Golden Mask」受賞
(フォーサイス「In the middle…」により)
★ボリショイで教えてもらっている教師はヴィクトル・バルィキン先生。

★ボリショイ劇場公式サイトの彼のページはこちらです。
(右の上の写真の下の番号をクリックすると写真が見れます。
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2008年4月5日ミハイロフスキー劇場バレエ「ドン・キホーテ」客演
(管理人の感想はこちら)

 

 

ペルミ・バレエコンクール「アラベスク」が10年を迎えたのを記念して
ブックレットを作り、その中で受賞者にインタビューをしています。
そのメルクーリエフのインタビューをこちらでご紹介しますね。
(2007年3月収録インタビュー)

質問:コンクール「アラベスク」で2位になってからのあなたの7年間に
   ついて話してください。
AM:今のところ、僕の人生で一番大事なことはキャリアです。パワーと
   時間の大部分を、僕は仕事に当てています。現在の僕にとって
   一番重要なのは芸術面での成長です。コンクール「アラベスク」の
   後、僕は自分により自信を持つようになりました。

   そしてこの間、僕は2回バレエ団を変わりました。コンクールの
   時は、サンクト・ペテルブルグのオペラ・バレエ劇場のマールイ
   劇場で踊っていました。コンクール後1年経ってマリインスキー
   劇場に移りました。2006年の9月からはボリショイ劇場で踊って
   います。また、この期間、僕は西側の優秀な振付家たち、ジョン・
   ノイマイヤー、ウィリアム・フォーサイスなどの作品や我が国の
   同じように優秀な振付家たち、ラトマンスキー、ミロシニチェンコ
   などの作品を踊りました。そしてボリショイ劇場では、すでにクリス
   トファー・ウィールドン、ユーリィ・ポーソホフ、トワイラ・サープ、
   レオニード・マシーン、アルベルト・アロンソなどの作品を踊ってい
   ます。

   この期間にクラシックと現代ものの、とても多くのレパートリーを
   踊り、さまざまな振付による有名な演目を試しました。ボリショイ
   劇場での最初の1年間で16もの役を初演し、その内の9つは
   全幕物の重要な役でした。

   マリインスキー劇場でフォーサイスを踊ったことにより「ゴールデン
   ・マスク賞」も取りました。

   ここで、コンクール「アラベスク」のパートナーであったエレーナ・
   シェシナに関して、個別に言及したいと思います。コンクールの後、
   マリインスキー劇場の全てのスターバレリーナたちと、ボリショイ
   劇場の多くのスターバレリーナたちと踊りました。しかし、僕にとって
   エレーナ・シェシナは常にNo.1バレリーナとして残ります。この
   バレリーナは僕を舞台人として成長させ、特に、パートナーシップに
   おいて教育したと言えるでしょう。まるで彼女とって痛くなかったかの
   ように、僕の失敗、ヘマにも耐えて、100回の練習でも一度も断りま
   せんでした。一度もわがままを言わず、苦情も言わず、何よりもまず
   僕に必要なだけ練習をしてくれました。4年間レーナは全てにおいて
   僕を助けてくれました。我々は大成功の、素晴らしいデュエットだっ
   たと思っています。今でも僕がとてもさびしく思っているほどの。コン
   クールのことを思い出せば…僕たちが何かがうまく行かなくて、どう
   にもちゃんとしなくて、そういう時でも必ずいつも「脱出すること」が出
   来ました。一つ何か合意できなくて、違う方法でやってみて、結果的
   にはいつもうまく行きました。僕たちはお互いにお互いを感じていま
   した。パートナーがもう一人のことをこのように感じている時、自分
   のこともよりよくわかるようになります。

質問:あなたたちをペアにしたのは誰ですか?
AM:我々は同時にマールイ劇場に移籍しました。そしてボヤルチコフが
   すぐに我々をペアにしました。僕を劇場に引っ張ってくれたことに対
   して、もっと重要なこと−僕を信じてくれたことに対して、ニコライ・
   ニコラエビッチ・ボヤルチコフにはとても感謝しています。当時僕は
   全く経験のない、スィクティヴカルから出てきた若いダンサーで、
   出来ることは少なかったからです。彼が僕をバレエ団に採用した
   時、「半年後、君がバレエ団の全レパートリーの主役を踊っていて
   欲しい」と言いました。僕はもうちょっとで失神しそうでした!彼は
   僕にチャンスをくれました。僕は成長し始めました。まさに彼が僕に
   ペテルブルグでの道を開いてくれたのです。

   一方マリインスキー劇場は別のドアを開いてくれました。そして僕は
   そこではすでに別物として、新しい人々、新しい振り付け、新しい
   可能性において本領を発揮しました。世界の主要なダンサー達とも
   知り合いになりました。興味深くて面白い人生が始まりました。

   そして現在は、また新しい時期に来ています。そして、またとても
   興味深く、充足した、充実した人生です。

【文責:管理人けいちか】

 

 

 

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